Japan

トップページ > 学ぶ(ヒストリー・サイエンス) > 1号機ものがたり > 日本初の計数形電子計算機

日本初の計数形電子計算機

米国製コンピューターが8時間かけてできない計算を2時間で完了できる「TAC」を開発。
現在のコンピューター産業の礎を築く。

日本初の計数形電子計算機の画像

世界初のコンピューター「ENIAC」は1945(昭和20)年に米軍の弾道計算用に開発され、18,000本の真空管が使用された。このニュースは1946(昭和21)年2月号の『Newsweek』に掲載された。

マツダ研究所(現:研究開発センター)の三田繁は、この記事からコンピューターについて考え始めていた。演算回路や制御回路の開発を行い基礎データの収集を始め、1951(昭和26)年には文部省初の研究費による「電子計算機製造の研究」へと発展し、東京大学(以下:東大)と共同で「TAC」開発がスタートした。

当初は実験機の開発を目指し、ハードを当社がソフトを東大が担当し、実用に可能な大型コンピューターを2年間で製造する計画だった。

ハード製作では、計算機用の高信頼性部品がなく、ラジオ用真空管を桁違いの高信頼性製品に開発した。この他、コンピューターの心臓部であるブラウン管メモリーの開発、ブラウン管蛍光面の物性的均一性、電子ビームの太さ、ビーム駆動特性の安定性の確保など開発は困難を極めた。さらに、32語長(1語長35ビット)/本のメモリー容量でランダムアクセス方式を採用したため、デジタル信号処理すべてをアナログ的な電子回路技術に依存しなくてはいけなかった。外部大容量メモリーとして磁気ドラムも開発し、駆動系には洗濯機用モーターを使用した。こうして1953(昭和28)年3月にプロトタイプが東大に納められたが、引続きマツダ研究所ではシステム調整が行われた。

終戦直後でもあり、手作りのパルス波形観測用オシロスコープは時間軸が不安定で正確な測定ができず、検証手段のない開発は致命的だった。プロトタイプと同時に「TAC」は当社小向工場で製造し、1954(昭和29)年4月に、東大に据え付けられたが、当時はシステムチェック方法が分らず、1955(昭和30)年を過ぎても稼働しなかった。その後「TAC」の全面的な見直しを始めたが、1957(昭和32)年暮れに、当社はシステム開発から離れた。

その後、東大が再設計し製造も行い、必要不可欠なシンクロスコープを入手した結果、不良現象の定量的な把握が可能となり問題点の改善が加速度的に進み、1959(昭和34)年1月21日に「TAC」は完成した。当社の真空管部品の信頼性も向上し、ブラウン管メモリーは米国標準局(NBS)公認で、当時世界最高と折り紙つきのRCA製より向上した。ブラウン管メモリーによるコンピューターは日本では「TAC」のみで、読み出し書き込みがすこぶる高速で、当時の輸入コンピューターIBM650が、8時間かけてもできなかった計算を2時間で完了した。高速性能の「TAC」は順調に稼働し、3年後の1962(昭和37)年7月に任務を終え廃棄された。

その後「TAC」開発に携わった人々がコンピューター産業を興し、現在の基礎を築いた。

東大総合研究所 電気計算機制御卓
東大総合研究所 電気計算機制御卓

東大総合研究所 本体
東大総合研究所 本体

関連リンク

1号機ものがたり一覧へ

学ぶ(ヒストリーサイエンス)トップページ

東芝未来科学館 〒212-8585 神奈川県川崎市幸区堀川町72番地34 スマートコミュニティセンター(ラゾーナ川崎東芝ビル)2F

このページのトップへ