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日本初の三極真空管(オージオンバルブ)

戦前に当社の開発で日本の真空管の歴史が始まり、戦後は日本のエレクトロニクスの発達に貢献した。

日本初の三極真空管(オージオンバルブ)

1917(大正6)年に当社は、日本で最初の三極真空管(オージオンバルブ)を完成した。これはアメリカのド・フォーレ(Lee de Forest)が実用的な三極真空管を完成してから10年目にあたり、ここに日本の真空管の歴史が始まった。1923(大正12)年の関東大震災の打撃を克服して完成したUV-199は本格的な真空管で、翌1924(大正13)年に始まったラジオ放送の受信用主力管となり、同年末には月産1万本に達したと記録されている。1925(大正14)年以降、自動ステム製造機・万能グリッド巻線機・高周波電気炉、さらに1929(昭和4)年に自動封止排気機(シーレックス)がGE社から輸入され、真空管製造の近代的基礎体制が確立した。更に、国産最初の酸化物陰極直熱管UX-112A、傍熱形UX-226などの歴史的受信管の製作に成功した。1929(昭和4)年から1930(昭和5)年にかけて四極管UX-222/224が完成、整流管UX-280が生まれ、さらに1932(昭和7)年には五極管UY-247、可変増幅率五極管UY-235が完成した。またこれらに並行して電池用真空管X-109/111も生まれ、この時までサイモトロンと呼ばれていた商品名を新たに"マッダ受信用真空管"と改めることになった。1933(昭和8)年には耐震構造への切替えが全面的に行なわれ、S形と呼ばれたナス形バルブが、だるま形のST形に変わり、1936(昭和11)年に当社生産の真空管の品種は40種以上に及んだ。

一方、次第に戦争準備段階にはいった軍の要請によって、電池を使用する軍用受信管の開発も進み、UX30シリーズの量産が開始された。1938(昭和13)年に工場の近代化を達成して本格的な量産体制が整えられると供に、6F6/6V6/6J7などの全金属真空管の研究も進行し、小形直熱管(ピーナツ管)11M/14Mが完成し、顕著な技術的前進が認められるに至った。1939(昭和14)年には航空機用として6300シリーズの開発が始まり、翌1940(昭和15)年には、超短波用受信管としてエーコン管954/955の研究も始められたのであった。

戦時体制への進展から1940(昭和15)年前後の情勢は、わが国の家庭用受信機に要する資材に極端な制限が要求された。その解決のためトランスレス方式をとる以外になく、1939(昭和14)年に6C6などを原形とした12Y-R1/V1などの150mAトランスレス・シリーズが開発され、量産に移されることになった。また軍用受信管の増産が強力に要請され、代表的な製品がRH-2/RH-8/CH-1などのいわゆるHシリーズであったが、戦況の悪化とともに、品種を整理して生産体制を簡易にするため、RH-2を母体とした「ソラ」を1943(昭和18)年に完成、これを万能管と称して増産にはいった。この年以降の受信管の研究から生産までは、多摩陸軍研究所の指揮下におかれていた。したがって当社の持っていた技術のほとんどすべてが、社外に公開される結果となった。これは戦後、当社にとっては不利益な条件を残したことになったのであるが、一面わが国の電子管技術の平均水準を上げ、日本のエレクトロニクスの発達に少なからぬ貢献をしたものとして意義があった。

初期の受信管 検波・増幅用3極管 UV-199
初期の受信管
検波・増幅用3極管 UV-199

初期の受信管 検波専用3極管 UX-200
初期の受信管
検波専用3極管 UX-200

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