東芝のあゆみ

東芝のあゆみ

東芝の創業には、日本の近代科学技術史を支えたふたりの巨人の存在がありました。
「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重が興した重電機製造の流れと、日本のエジソンとしてその名を知られた藤岡市助によるエレクトロニクス分野の流れがあります。二人の生涯と東芝のあゆみをご紹介します。

田中久重 田中久重

田中久重

1790-1829

1799年

田中久重 久留米に生まれる

藤岡市助 藤岡市助

藤岡市助

1790-1829

1830-1849

1834年

大阪に移住。「携帯用懐中燭台」を製作・販売

1837年

京都・伏見に移住

1847年

「機巧堂」を京都に開店

1830-1849

1850-1859

1851年

「万年時計」製作

1853年

佐賀藩精錬方に招かれる

1850-1859

1860-1869

1864年

久留米藩に招かれる

1860-1869

1857年

藤岡市助 岩国に生まれる

1870-1889

1873年

久留米から上京

1875年

東京・銀座8丁目に、工場兼店舗を構える(東芝の創業)

1881年

田中久重 死去

1882年

弟子の田中大吉が「田中製造所」設立

1870-1889

1875年

工部省工学寮(東京大学工学部の前身)に入学

1878年

エアトン教授の指導の下、日本で始めてアーク灯を点灯

1884年

アメリカへ視察旅行

1886年

東京電燈(東京電力の前身)技師長に招聘される

1890-1899

1893年

「芝浦製作所」と名前を変更

1890-1899

1890年

「合資会社白熱舎」を創設
市助設計による日本初の電動式エレベーター設置

1895年

市助指導による日本初の電気鉄道、京都電気鉄道開通

1896年

「東京白熱電燈球製造株式会社」に社名変更

1899年

「東京電気株式会社」に社名変更

1900-1929

1900-1929

1905年

東京電気とゼネラルエレクトリックの提携成立

1918年

藤岡市助 死去

1930-1999

1939年

「芝浦製作所」と「東京電気」が合併し、
「東京芝浦電気株式会社」になる

1984年

「株式会社東芝」に社名を変更

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