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トップページ > 学ぶ(ヒストリー・サイエンス) > 東芝の歴史/TOSHIBA SPIRIT > 東芝のルーツ > 田中久重ものがたり 5話

田中久重ものがたり

日本の近代技術史に名を刻む天才機械技術者「からくり儀右衛門」とは、東芝の創業者田中久重のこと。
彼のユーモアとアイディア、いたずら心は、奇天烈なモノから時代の最先端の製品までつくりあげました。
日本の近代の幕開けの時代、一生涯、あたらしいモノづくりへチャレンジし続けた発明家・技術者の生き方に迫ります。

5話 革新 INNOVATION

"開国の足音"に久重の創造欲はさらにかき立てられる。

蒸気船雛形(スクリュー式)
蒸気船雛形(スクリュー式):財団法人鍋島報效会所蔵

開国を要求する欧米の圧力が日に日に高まっていた。こうした動きに対し、長崎警備を担当していた佐賀藩では、藩主・鍋島直正(なべしまなおまさ)の指揮の下、優秀な技術者を集め、大砲の鋳造や蒸気機関の建造、化学薬品の研究開発などに取り組んでいた。
むろん、久重もこうした国防技術に関心を抱いており、蘭学者・広瀬元恭のもとで培った西洋知識を生かし、独力で実作に励んだ。
嘉永5年(1852年)には、日本初となる動く蒸気船雛型を完成する。

国防技術の開発を請われ、久重、佐賀藩に着任。

佐賀藩精煉方絵図(蒸気車雛形試運転)
佐賀藩精煉方絵図(蒸気車雛形試運転):財団法人鍋島報效会所蔵

嘉永6年(1853年)、久重は佐賀藩の蘭学者・佐野常民の薦めにより、精煉方に着任する。
日本初の反射炉を持つなど、当時最先端の科学技術研究機関であった精煉方の発展には、久重の技術は不可欠だった。とりわけ蒸気機関技術は佐賀藩のみならず日本の未来がかかっていた。

久重は火薬に詳しい中村奇輔(なかむらきすけ)やオランダ語の達者な石黒寛二(いしぐろかんじ)らの才人とともに、蒸気機関や大砲などの技術開発に取り組み、日本の国防技術の近代化を強力に後押しすることになる。

開国。時代は本格的な機械工業へ。久重、西洋先端技術に挑む。

蒸気船雛形(外輪式)
蒸気船雛形(外輪式):財団法人鍋島報效会所蔵

江戸幕府はついに安政元年(1854年)、下田と箱舘(函館)を開港する。
開国に伴い、欧米の最新技術が堰を切ったように流入し、久重は想像をはるかに超える進歩を遂げた西欧技術を目の当たりにする。
開国翌年の安政2年(1855年)、久重らはスクリュー式と水車式の本格的蒸気船の雛型を完成させる。さらに同年、ロシアの軍艦内で見た蒸気機関車の模型を参考に、わが国初の蒸気機関車の模型を製作、佐賀藩主・鍋島直正の前で走らせている。

近代的な重工業の礎の構築に向け、郷里・久留米でも尽力する。

アームストロング砲
アームストロング砲:財団法人鍋島報效会所蔵

船舶の交信に使われる電信機(エーセルテレカラフ)、蒸気砲の雛型、写真機やガラス製の手ぬぐいかけ。久重が精煉方で手がけたものは多岐にわたった。
文久2年(1862年)、久重は、佐賀藩がオランダから購入した軍艦「電流丸」の蒸気釜を完成させる。それは久重の積年の夢である蒸気機関技術を手にした瞬間でもあった。
やがて久重は郷里の久留米藩からも招かれた。技術顧問として藩陸軍の製砲事業に関わり、先端兵器であるアームストロング砲などを完成させたほか、火薬技術を使い氾濫を繰り返す筑後川の河川改修までも行った。

明治時代へ。
あたらしい時代の夜明けとともに久重自身も新たな夜明けを迎える。

指示式電信機 エーセルテレカラフ
指示式電信機エーセルテレカラフ:(諫早市指定有形文化財)早田家所蔵

日本は幕末の動乱を経て、明治という新たな時代の夜明けを迎えた。
技術者・学識者らは、先を争うようにあたらしい科学技術・文化を吸収した。そこには六十半ばにしてなお、先進の技術を探求し続ける技術者、田中久重の姿があった。
久重は時代の要請でもある国防技術開発に見事応える一方、日本初の製氷機械や自転車、人力車、精米機、川の水を引き上げる昇水機など、生活に密着した製品の開発改良にも情熱を傾けた。人々に役立ってこそ技術。
激動の時代にあって久重のポリシーはいささかも揺らいではいなかったのである。

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