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トップページ > 学ぶ(ヒストリー・サイエンス) > 東芝の歴史/TOSHIBA SPIRIT > 東芝のルーツ > 田中久重ものがたり 4話

田中久重ものがたり

日本の近代技術史に名を刻む天才機械技術者「からくり儀右衛門」とは、東芝の創業者田中久重のこと。
彼のユーモアとアイディア、いたずら心は、奇天烈なモノから時代の最先端の製品までつくりあげました。
日本の近代の幕開けの時代、一生涯、あたらしいモノづくりへチャレンジし続けた発明家・技術者の生き方に迫ります。

4話 大成 SUCCEED OF SUCCESS

天文家の学識と技術者の腕を生かし、時計の新たな価値観を築く。

須弥山儀
須弥山儀:時計の大橋所有・セイコー時計資料館へ寄託

天文家としての学識を備え、最も優れた職人のみに与えられる「近江大掾」(おうみだいじょう)の称号を得た久重は、なおも向学心を磨く。
齢五十を過ぎた嘉永3年(1850年)、当時の時計の概念を根底から覆したといわれる和時計・須弥山儀(しゅみせんぎ)を完成させる。須弥山儀は天動説に即し、仏教の宇宙観をひとつの時計の中で見事に表現した名品である。
またこの頃、京都の蘭学者・広瀬元恭(ひろせげんきょう)の「時習堂」(じしゅうどう)に入門。医学や物理学、化学、兵学、砲術などを吸収した。

卓越した技術力を知らしめた不動の名作、「万年時計」

万年自鳴鐘(万年時計)
万年自鳴鐘(万年時計):株式会社 東芝所有・国立科学博物館へ寄託

時は、ロンドンで初の万国博覧会が開催された嘉永4年(1851年)。
須弥山儀に続き、久重は持てる知識と技術の全てを注ぎ込んだからくり時計の"最高傑作"を完成させる。−「万年時計(万年自鳴鐘)」である。
西洋時計と和時計のほか、曜日や二十四節気、旧暦の日付、月の満ち欠け・・・。あらゆる"時の概念"、"匠の技"をひとつに凝縮したこの傑作の誕生により、嘉永5年(1852年)に「日本第一細工師」の招牌を受け、「田中久重」の名は世に知れ渡るところとなる。

気高く精巧な万年時計は、人々の目に広く、深く焼きついた。

万年自鳴鐘(万年時計)の「引札」
万年自鳴鐘(万年時計)の「引札」:国立科学博物館所蔵

進んだ西洋技術を受け入れるだけでなく、日本の生活文化を融合させ、社会に役立つものとする−。久重のこの想いを、万年時計はよく表している。

当時、時計を収集していた松江藩主や、譲渡を切に希望した佐賀藩主など、引く手あまたとなったが、久重は申し出を断り続けた。
目的は金儲けではなく、自らの傑作が大衆に広まり文化に根付くことだった。これ以降の製品広告では自らを「万年自鳴鐘師」と記しており、作品への思い入れの深さがうかがえる。評判高き万年時計は後に、幾多の博覧会や展覧会に出展された。

江戸時代末期、日本の時計の独創性が確立する。

太鼓時計(複製)
太鼓時計(複製):東芝科学館所蔵

目覚し機能がある「枕時計」、宇宙観を示した「渾天時計」(こんてんどけい)、時間ごとに太鼓を打ち、ニワトリが時を報じる「太鼓時計」・・・。機能もデザインもユーモアにあふれたそれらは、まさに久重の飽くなき探究心と遊び心の賜物であった。

五十代半ばにして、なおもその探究心は留まるところを知らない久重。時は嘉永6年(1853年)、ペリーの黒船来航、そして開国への道を歩んでいた。

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