Japan

トップページ > 学ぶ(ヒストリー・サイエンス) > 東芝の歴史/TOSHIBA SPIRIT > 東芝のルーツ > 田中久重ものがたり 2話

田中久重ものがたり

日本の近代技術史に名を刻む天才機械技術者「からくり儀右衛門」とは、東芝の創業者田中久重のこと。
彼のユーモアとアイディア、いたずら心は、奇天烈なモノから時代の最先端の製品までつくりあげました。
日本の近代の幕開けの時代、一生涯、あたらしいモノづくりへチャレンジし続けた発明家・技術者の生き方に迫ります。

2話 好奇 CURIOSITY

べっこう細工師だった父から譲り受けた大切なもの。

田中久重生誕地の石碑
田中久重生誕地の石碑

田中久重は、江戸末期の寛政11年(1799年)9月18日、筑後国久留米(現・福岡県久留米市)のべっこう細工師・田中弥右衛門の長男として生まれた。
「からくり儀右衛門」の異名のとおり、一生涯を通じて発明創造に身をささげ、日本の近代科学技術史に名を刻む天才機械技術者として語り継がれている。
べっこう細工は、精緻な金属細工が施される工芸。
久重は、その高度な技能、手業を目の当たりにしながら、幼い頃から、創作の何たるかを知らず知らずのうちに身につけていたのである。

創意工夫が人々を驚かせ、喜ばせる術であることを知った。

久重が幼少の頃遊んだという五穀神社
久重が幼少の頃遊んだという五穀神社

文化4年(1807年)、数えにして九つのときのことである。「これ、開けてみ?」−自分がつくった硯箱を開けるよう寺子屋の仲間に促す久重少年。何の変哲もない硯箱であったが、誰一人として蓋を開けることができなかった。
"発明の虫"誕生のエピソードとして語り継がれる"開かずの硯箱"である。みんなが腕を組み唸る姿を見て久重少年は微笑んだ。常にまわりの人々を仰天させる小さないたずら心は、彼がやがて進む道を拓くエネルギーとして、次第に成長していったのだ。

幼い久重が目にした"からくり"は壮大な奇術に思えた。

JR久留米駅前にある「からくり太鼓時計」
JR久留米駅前にある「からくり太鼓時計」

久重が生まれ育った幕末期、庶民の娯楽として注目をあびていた"からくり人形"。例祭などで、からくり興行師による人形が披露されると、集まった老若男女が感嘆した。それは想像のつかない奇術のように、幼い久重を魅了したのである。
幕末には『機巧図彙』(からくりずい)という手本書も出版されていた。人々に驚きと感動、喜びを与える"からくり"に心を打たれ、傾倒していく久重。朝から晩まで、小刀を手に図案とにらめっこ。少年は睡眠時間を惜しんで創意に燃えた。明治開国以降の近代工業化に貢献する発明家の基礎は、この頃に固められたのである。

家業を拒絶してまでも、"からくり"で生きる道を決意。

久留米市・五穀神社にある「田中久重翁」の像
久留米市・五穀神社にある「田中久重翁」の像

「私は発明工夫をもって天下に名を揚げたいと思います。家職は弟に継がせてください」
父に訴える久重の気持ちは揺るぎないものだった。家職を捨ててまで"からくり"とともに生きる決意をした久重に、意外な人物から「お知恵拝借」の要請が舞い込むことになる・・・。
田中久重、数えにして十四歳。海外では、フランス皇帝・ナポレオンが勢力を弱めつつあった時代である。久重の名を世に広める立役者となる、意外な人物とは・・・。

関連リンク

学ぶ(ヒストリーサイエンス)トップページ

東芝未来科学館 〒212-8585 神奈川県川崎市幸区堀川町72番地34 スマートコミュニティセンター(ラゾーナ川崎東芝ビル)2F

このページのトップへ