Japan

トップページ > 学ぶ(ヒストリー・サイエンス) > 1号機ものがたり > 世界初のラップトップPC

世界初のラップトップPC

技術を結集し、携帯性・小型化・省電力化を追求。
ラップトップPC開発のけん引者として市場を創造。

世界初のラップトップPCの画像

パーソナルコンピューター(PC)は1970年中頃から組み立てキットやホビー向けとして徐々に拡大し、1980年代にビジネス用として急成長してきた。その中でも米国IBM社が1981(昭和56)年に発売した“IBM-PC”は本格的ビジネスPCとして業界標準としての地位を固め、世界を席巻していた。小型機・OA機器へと事業拡大を図っていた当社は1979(昭和54)年に日本語ワードプロセッサー“JW-10”を発売し、1985(昭和60)年に“RUPO”を発売して、事業として成功を収めていたが、PC事業では後塵(こうじん)を拝していた。独自仕様のデスクトップPCでは差別化をしても業界標準機との互換性がなく市場に受け入れられないからである。まさに当時、当社のPC事業は赤字続きでこのままでは事業継続が難しいという崖っぷちに立たされていた。

そのような当社のPC事業に残された唯一の選択肢は世の中にないイノベーティブなPCの開発であった。「業界標準機と完全互換性を持ち、小型・軽量化と省電力化を追求し、持ち運べるサイズまで小型化したPCなら必ず売れる。日本語ワードプロセッサー開発で培った小型化技術も生きる。」こんなアイデアで1984(昭和59)年4月にラップトップPC開発に着手した。その仕様とスケジュールはボトムアップでなく推進責任者が決め、開発者たちに指示が与えられた。

開発者たちにとって最初は不可能とも思えたPC開発だったが、多くの困難な壁を克服し何とか開発できた背景には、青梅事業所の技術力の他に小型化のためのキー部品のほとんどが社内で共同開発できたことがある。3.5型FDD、大型LCD、そして半導体技術などである。デスクトップに比べ重さは実に1/7の4.1kgにまで小型化できた。

1985(昭和60)年4月、世界初のラップトップPC“T1100”を最初に欧州で販売した。米国ではPC事業は撤退しており、日本ではNEC98の牙城であり、これとは互換性がない。T1100は革新的商品とはいえ幾つかの課題もあった。FDDは当時主流の5型でなく3.5型であり、値段も高い(当時レートで50万円強)。販売は時期尚早と疑問視する人も少なくなかった。しかし当時欧州PC責任者はラップトップへの将来性を信じ積極的に販売した。大手ソフトハウスや代理店、顧客に対し近い将来はデスクトップにとって代わると説得し、1年間で1万台の販売目標を達成した。この記録は当時の東芝PC事業にとっては驚異的な数字であった。

T1100の欧州での実績から、翌年よりラップトップPCを米国と日本でも販売開始することになった。T1100を“T1100Plus”に強化し、新たに上位機種として1986(昭和61)年に“T3100(”日本語版“J-3100”)を開発した。T3100にはプラズマ表示やHDDなど新たな最新技術を採用し、発売直後から「The King of Laptop」と称賛され、さまざまな賞を総なめした。

その後も当社のPC事業は継続的技術革新によりポータブルPC市場をリードし続け、部品業界にも大きな貢献をしてきた。これらの新技術に対し、1989(平成元)年には大河内記念財団より大河内生産記念賞を受けた。

世界初のA4ノートブックPC(DynaBook J-3100SS 001)
世界初のA4ノートブックPC
(DynaBook J-3100SS 001)

T3100
 T3100

関連リンク

1号機ものがたり一覧へ

学ぶ(ヒストリーサイエンス)トップページ

東芝未来科学館 〒212-8585 神奈川県川崎市幸区堀川町72番地34 スマートコミュニティセンター(ラゾーナ川崎東芝ビル)2F

このページのトップへ