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日本初の1MビットDRAM

「世界トップのDRAMメーカー」という積年の夢を実現。
「半導体の東芝」を世界にアピールした功労者。

日本初の1メガピットDRAM

DRAMの誕生は1971(昭和46)年に米国インテル社が1,024(1K)ビットDRAMを開発・製品化した時である。その後、ほぼ3年で4倍というペースの大容量化と新しい市場の開拓でDRAMは発展を続けてきた。

当社におけるDRAMの歴史は、1973(昭和48)年に1KビットDRAMを開発した時に始まる。ICの最新技術であるPチャネルシリコンゲート技術を駆使した3トランジスタ/セル方式であった。その後、4Kビット、16Kビット...256Kビットと開発・生産を行ってきたが、当社が半導体メーカーとして確かな地位を築いたのは1MビットDRAMの時代に入ってからである。

1981(昭和56)年末、日本経済新聞に「東芝、DRAM事業から撤退」と報道された。これを契機にDRAM事業への再挑戦が始まった。1982(昭和57)年から開始された“W作戦”の重点戦略として1MビットDRAMの開発がスタートした。その後、シリコンサイクルの波に動揺しない一貫した設備投資による土台作りから、技術者の重点配分による技術力強化、従来実績のあるNMOS品と高速動作・低消費電力という性能向上を狙うCMOS品の並行開発、および最終的なCMOS品の選択へと進み、1984(昭和59)年秋に世界に先駆けて開発に成功した。

翌1985(昭和60)年2月にニューヨークで開催された半導体技術の国際会議(ISSCC)で発表し、同時に大手ユーザーへのサンプル出荷を行い、製品開発段階で他社に大きく先行した。さらに、生産面では予定より早い1985(昭和60)年10月に月産1万個の規模を達成し、長年の夢だったDRAMにおいて世界トップメーカーに躍り出た。1MビットDRAMは、当社の技術を世界的レベルにまで高め、当社全体でもヒット商品の一つとなった。

当社の半導体事業の中で、売上、利益規模、国際化への広がり、知名度アップなど、広い面で1MビットDRAMほど大きな貢献をした製品はないといっても過言ではない。4MビットDRAMでも、2世代制覇へ向けて全社一丸となって開発を進めた。競合他社と激しい競争を繰り広げたが、当社は依然として優位に立ち、1989(平成元)年には他社に先駆けてサンプル出荷を始め、大手ユーザーの認定をいち早く取得した。続く16MビットDRAMでも1990(平成2)年にサンプル出荷を始めた。一方、生産面でも主力ラインとするために、大分工場に多額の設備投資を行い生産体制を着々と整えていった。また、1993(平成5)年にはメモリーの主力工場として四日市工場を建設し、生産をスタートさせた。

1MビットDRAM拡大図
1MビットDRAM拡大図

当時の量産工場(大分工場)
当時の量産工場(大分工場)

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