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日本初の純国産の万能真空管「ソラ」

戦後、品質管理手法でデミング賞を受賞、
初代南極越冬隊長を務めた西堀栄三郎氏が開発。

日本初の純国産の万能真空管「ソラ」の画像

当社は1916(大正5)年に真空管の研究に着手し、1917(大正6)年にわが国初の真空管オージオンバルブを完成、ここにわが国の真空管の歴史が始まった。

ついで、1924(大正13)年にラジオ放送が開始され受信用真空管の需要が本格化するにともない、1925(大正14)年以降、自動ステム製造機、万能グリッド捲線機、高周波電気炉、さらに自動封止排気機を輸入整備して真空管製造の近代的基礎体制を確立した。また、1928(昭和3)年にわが国で初めて酸化物陰極管の製作に成功、1933(昭和8)年になす形バルブをだるま形にするなど全面的に耐振構造への切替えを 行うと同時に新品種の開発を進め、1936(昭和11)年には当社の真空管生産品種は40種をこえるに至った。

この頃から、次第に戦争の準備段階に入った軍の要請により軍用真空管の開発に取り組み、1940(昭和15)年には超短波帯用エーコン管を完成した。

その頃、他社が独国テレフンケン社のST管をベースに開発した万能真空管(FM2A05A)は、製造努力にもかかわらず歩留まりの悪さが改善されず、絶対数が不足していた。そのため、海軍が真空管の製造を委託していた当社にも万能真空管(FM2A05A)の製造要請が来た。しかし、当時の西堀栄三郎技術本部長(戦後に南極観測隊の初代越冬隊長や品質管理手法でデミング賞を受賞)は製造の難しいことを理由に了承せず、当時の山口喜三郎社長の説得にも応じなかった。海軍としては何としても製造を受けさせるべく、西堀本部長を横須賀の追浜での会議に呼びつけ、国賊とまで罵った。そこで、同じ性能の万能真空管を一カ月以内に50個作ると約束した。

要求された万能真空管(FM2A05A)は電極にボタンステムを採用していたが、当社が得意としているピンチステムではプレートとグリッド間の静電容量(Cpg)がある値以下にならない問題があった。ところが実験室で真空管を壊して静電容量を測定中に解決のヒントが見つかり、代わりとして当時すでに航空機用として使われ始めていたGT管(RH-2)を原型に、1943(昭和18)年「ソラ」の開発に成功した。「ソラ」は大量生産できることを前提に設計され、材料も極度に不足している状況から「トタン屋根を剥しても作れる」ように考えられた。品質管理基準を完備し、徹底的に微細な部分に至るまで製造マニュアルを作成して「どんな素人でも製造可能」と言われるほど優れたものだった。しかし、1945(昭和20)年になると、工場は次々と爆撃を受けて廃墟になり、高度な真空管の製造機械を製造する余裕はなかった。そこで、この時代に合わせた半自動の製造機械を工夫した。必要なものは、ガラス細工とその排気管を焼きとる小さなバーナー、そして高周波電源だけであった。高周波電源には、円盤形の放電による軍用の発信機を使った。さらに、ガラス細工をするためのガスを求めて、山形や新潟など疎開先で真空管の製造を計画し、ある程度製造を始めたころに終戦を迎えた。

万能真空管「ソラ」の組立作業教本
万能真空管「ソラ」の組立作業教本

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