東芝未来科学館:世界最大の鴨緑江水力発電機

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世界最大の鴨緑江水力発電機

昭和13年、日本を取り巻く内外の情勢が緊迫の度を強めるなか、
水豊発電所用の水車及び発電機が発注された。

当時世界最大の鴨緑江水力発電機の画像

昭和の初め、現在の北朝鮮地域の豊富な水資源に着眼し、赴戦江、虚川江、長津江などの水力電源開発を計画していた。この豊富な電力を用いて大々的に化学肥料を製造することを計画して朝鮮窒素肥料株式会社が設立された。この電源開発を進めたのが朝鮮水電株式会社や長津江水電株式会社である。

芝浦製作所と電業社原動機製造所(共に当社の前身)が、朝鮮水電株式会社から赴戦江第二発電所の立て軸フランシス水車2台を受注したのを手始めに、1942(昭和17)年までに当社は朝鮮水電株式会社および長津江水電株式会社から、1発電所を除く11発電所、35台の水車および発電機すべてを受注した。

これらの機器の多くは、従来の記録を大きく超える高落差・大容量のもので、受注を狙う欧米メーカーと国際入札で激しく競合したが、当社の技術に対する客先の信頼が厚く、このように大量の発注を受けた。

その後、満州と朝鮮の国境を流れる鴨緑江の水力開発が計画され、開発を進めた鴨緑江水力発電株式会社から、当時の世界最大容量機である水豊発電所向けに105MW水車7台および100MVA発電機5台が、1938(昭和13)年3月、当社に発注された。

この水車は立て軸フランシス水車で、7台のうち3台が50/60Hz両用機、2台が50Hz専用機、残りの2台が60Hz専用機で、落差82m、単機容量が105,000kWという世界最大のものであった。当時の世界最大容量機は、米国のボルダーダム発電所の水車の85,000kWであり、これを遥かにしのぐものであった。

1938(昭和13)年当時は、既に日本を取り巻く内外の情勢は緊迫の度を加えていた。そのため当社は注文決定と同時に、設計はもとより、資材の調達について各方面の素材メーカーの協力を得るなど、この画期的な大型水車の製造に対し様々な対策をただちに採った。

1938(昭和13)年9月、1号機の埋設部品が現地に発送され、翌1939(昭和14)年の初秋には1号機の本体が完成した。その後、この超大型の記録的水車を平均4.5カ月ピッチで出荷したことが記録に残されているが、資材と労力の不自由な戦時下においてはまさに驚異的なことであったと言える。

1941(昭和16)年9月に発電を開始し、発電記念式が行われた。この水車の完成に際し、当社の水車製造事業の生みの親であった元専務取締役大田黒重五郎が揮毫(きごう)した額に、この大事業を成し遂げた関係者一同の誇りと喜びを感じ取ることができる。

発電機についても、この記録的な大容量機を出荷前に総組み立てして回転試験をするための広大な新工場を建設した。1940(昭和15)年6月には、この工場で1号機の50/60Hz両用機の回転試験を実施し、性能並びに運転の信頼性が十分であることを確認した。

この世界最大容量発電機の完成は、多くの研究者・技術者の並々ならぬ努力による数々の技術的飛躍を経て、大容量化、高電圧化、大直径化、軸受および発電機全体の高性能化などの技術が次々と確立された結果であることは言うまでもない。

大田黒重五郎書「昔日半馬力 今日十四萬三千馬力 世界第一」
大田黒重五郎書
「昔日半馬力今日十四萬三千馬力世界第一」

建設中の水豊発電所用105,000kW水車
建設中の水豊発電所用105,000kW水車

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