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世界初の内面つや消し電球

クーリッジ博士の引線タングステン電球、ラングミュア博士のガス入り電球に匹敵する世界的な発明。

世界初の内面つや消し電球の画像

1879(明治12)年にエジソンは、木綿の繊維を炭化させてフィラメントにした白熱電球を発明した。その後、長持ちするフィラメントを作るため、数千種類の材料を世界各地から取り寄せ、京都・石清水八幡宮の真竹が最も良いことがわかり、この真竹をフィラメントに使った実用的なカーボン電球を開発した。その後、欧米の電灯事業は、これを契機に急速に発展した。

日本では1883(明治16)年、東京電燈(東京電力の前身)が設立され、藤岡市助博士が工部大学校(東京大学工学部の前身)から技師長として迎えられた。1888(明治21)年頃火力発電所が相次いで完成し、電灯利用者の数もようやく増えるようになった。しかし、肝心の電球はすべて外国製品に依存しなければならない実情であった。そこで、藤岡市助は電球国産化のため、1890(明治23)年に「白熱舎」(当社の前身)を設立した。最初は綿糸を使ってフィラメントを作っていたが、実用に堪える白熱電球はできなかった。その頃、米国では日本の真竹を使っていると聞き、さっそく真竹をフィラメント材料として開発した結果、1890(明治23)年に初めて電球製造に成功した。生産量も1892(明治25)年頃3,000個/月程度になったが、価格では競争にならずほとんどを外国製品に占められていた。その後、1900(明治33)年に炭素線用綿(コットン)によるフィラメント製造に成功し、生産も飛躍的に増加した。

1911(明治44)年に米国GE社クーリッジ博士の引線タングステン線の完成が報じられ、当社も引線タングステン線による電球の製造販売を開始した。この引線タングステン線の発明は、材質の強度不足や品質の不均等を根本的に改善すると共に、ガラス球内の排気装置の発達もあり電球製造に革命的な影響を与えた。その後、米国GE社ラングミュア博士は、電球の寿命はタングステン線の蒸発によって左右されることを発見し、この蒸発を少なくすれば寿命を延ばすことができると考え、1913(大正2)年に電球のガラス球内にタングステンと化合しない窒素ガスを封入したガス入りタングステン電球(窒素電球)を発明した。当社は、この発明の報に接して直ちにこれを輸入販売すると同時に、その試作研究に着手。1915(大正4)年に窒素ガス入り電球の製造に成功した。

ガス入りタングステン電球の出現で、電球の効率は高まり、光源の光度はいよいよ強くなり、かつその表面輝度はますます高くなった。そのため、眩しさが一般照明の大きな問題となった。最初はガラス球を外面からつや消しする方法がとられたが、表面が汚れ易く、かつ掃除も困難で、従って光の透過量も急速に減少するという欠点を持っていた。そこで、当社の不破橘三技師がガラス球の内面をつや消しすることに着眼し、研究を進めた。しかし、内面を化学的につや消しされたガラス球は、強度が大変弱く、実用にはならなかった。その後、研究に専心し、苦心努力の結果、1925(大正14)年にガラス球の強度においても外面つや消しと遜色のない内面つや消し電球の製作に成功した。

クーリッジ博士時代のタングステン電球
クーリッジ博士時代の
タングステン電球

ラングミュア博士発明のガス入り電球
ラングミュア博士発明の
ガス入り電球

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