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世界初の二重コイル電球を試作

エジソンの炭素電球、クーリッジの引線タングステン電球、ラングミュアーのガス入り電球に匹敵する世界的な発明。

世界初の二重コイル電球を試作

1890(明治23)年に白熱舎(当社の前身)が創立され、白熱電球の製造を開始した。当時、最も困難を極めたものは、炭素線の製造であった。当初は、英国より購入の電球製造機械に付属してきた木綿を用い、後にはエジソンに倣って竹を用いたが、いずれも断線率が高く、1900 (明治33)年に至って、綿を加工した炭素線を採用した。

1907(明治40)年ごろ、欧米でのタングステン電球の製造を知った当社は、まず、三田本社工場内で小規模の試作を開始した。その後1910(明治43)年、建設中の川崎工場内にタングステン電球の製造ラインを 設置して、本格的な製造に着手した。

しかし、このころのタングステン電球は、いわゆる押し出しタングステン線であり、その製造法ではタングステンの材質が脆弱(ぜいじゃく)で思うように生産性が上がらなかった。この線を用いて製作した電球の価格が相当高くなり、一時は事業の採算が取れない状況であった。

ところが、1911(明治44)年に米国GE社クーリッジ博士の引線タングステン線の完成が報じられ、当社も同年10月より引線タングステン線による電球の製造販売を開始した。この可延性タングステン線の発明は、材質の強度や品質の均等を根本的に改善すると共に、ガラス球内の排気装置の発達もあり電球製造に革命的な影響を与えた。

その後、米国GE社ラングミュア博士は、電球の寿命はタングステン線の蒸発によって左右されることを発見し、この蒸発を少なくすれば寿命を延ばすことができると考え、1913(大正2)年に電球のガラス球内にタングステンと化合しない窒素ガスを封入したガス入りタングステン電球(窒素電球)を発明した。当社はこの発明の報に接して直ちにこれを輸入販売すると同時に、その試作研究に着手した。

ガス入り電球はタングステン線の蒸発が少ないため黒化が少なく、窒素など不活性ガスの中では線の表面にガス層ができて線を包み、ガス損失は線の直径が太いものほど少なくなる現象が発見された。そのため、直線をコイルに巻き有効直径を太くすることが考案され、いわゆるコイル状タングステン線を使用するようになった。

当社でもコイル状タングステン電球の研究を進めていたが、特に三浦順一技師は、従来の単一コイルをもう一度コイル化した二重コイル電球を1921(大正10)年に初めて試作した。この二重コイル電球は、単一コイル電球と比較してさらに効率が良く、多くの期待を集めたが、当時はまだ量産技術が確立されておらず、実用には至らなかった。

タングステン線とガス入り電球の研究、さらに二重コイル化の実験的な製作研究を続け、1927(昭和2)年に活動写真映写機の特殊電球に採用した。その後、従来のガス入り電球と同様の均一な品質を工業的に量産できる技術を確立し、1936(昭和11)年に新マツダランプ(ガス入り二重コイル)として発売した。

クーリッジ博士時代のタングステン電球
クーリッジ博士時代の
タングステン電球

ラングミュア博士発明のガス入り電球
ラングミュア博士
発明のガス入り電球

新マツダランプのカタログ
新マツダランプのカタログ

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