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日本初のラジオ用送信管

日本で初めてラジオ放送が始まる9年も前から実験室では国産化を目指して送信管の研究を始めていた。

日本初のラジオ用送信管の写真
写真は初期のプライオトロン

ラジオ用真空管の研究は1916(大正5)年、東京電気の実験室で始まった。1919(大正8)年には入力30Wの試作品“プライオトロン”が完成し、逓信省電気試験所に納入した。これが日本初の送信管製作となった。それまで輸入に頼ってきた無線機や真空管は国産化を目指し苦心を重ねて研究・開発を行い、空冷式の三極送信管・四極送信管を完成させた。

その後1925(大正14)年にラジオ放送が始まり、東京・大阪・名古屋など各地に放送局が開設された。そのころから水冷式送信管の研究が進み、1927(昭和2)年に初めて10kW水冷三極管UV-207の開発に成功した。1930(昭和5)年には当時の日本無線電信株式会社との共同研究で、20kW水冷送信管SN-167を使用した大型短波送信機を完成させ、小山送信所に納入した。

満州事変が始まるとともに、無線通信装置の製作は多忙を極め、放送機も50kW、100kW、150kWと出力が増大し、基幹となる送信管も画期的な大型水冷管の製作へとチャレンジを始めた。

1933(昭和8)年には陽極損失100kW水冷三極管UV-169を、翌1934(昭和9)年には150kW放送機用の陽極損失250kW水冷三極管UV-171を完成させ、戦前の送信管製作の歴史を塗り替え一大隆盛期を迎えた。UV-171は全長165cm、最大直径25cmの送信管で、設計から製作まで独自の方法で仕上げたものであり、現在でも世界最大級にカウントされている。1936(昭和11)年に完成した東京中央放送局 (JOAK)の150kW放送機に使用された。満州事変に続く戦争の拡大により、大型水冷式送信管需要が増大すると、この需要増大に対応するため、1935(昭和10)年には製造本拠を柳町に置いて生産増強に努めたが、空襲、疎開、終戦といった戦局の変転と共に、堀川町に本拠を移して再建に努めた。

戦後の1949(昭和24)年になると、強制空冷三極管8T92R、水冷三極管8T92が完成。NHK福岡や新潟などで10kW中波放送機の終段電力増幅管や変調管として使われた。同年、水冷三極管7T56、8T65、8T68などの送信管も完成し、3kW、20kW短波送信機に使われた。

戦後の送信管技術について特筆すべきは、トリウム、タングステン陰極の水冷管への応用である。真空管材料の品質向上と排気技術の進歩により達成されたもので、国際電信電話株式会社・小山送信所での実装寿命試験に成功した。また陰極水冷三極管は、各種の短波送信機に使われた。民間ラジオ局用には中波放送機用各種装信管の製作が盛んになり、1953(昭和28)年には陽極損失50kWの水冷三極管9T71、陽極損失25kWの強制空冷三極管8T71Rを完成させている。

UV-171
UV-171

強制空冷三極管8T71R
強制空冷三極管8T71R

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