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日本初のX線管

真空管製造の独自の技術と設備を駆使して誕生。
古代インドの尊者の名を冠した純国産X線管球。

日本初のX線管の画像

1895(明治28)年にドイツのW.C.レントゲンは真空放電の実験中に極めて不可思議な放射線を発見し、これをX線と命名した。使われていた放電管はとても簡素な構造で、洋梨型のガラス球にアルミニウムの両極を封入した、一種のクルックス管だった。

この簡単な放電管の実験中に検出されたX線は当時の科学者を驚動させ、早速さまざまな場所で追試が行われたという。

当社がX線管の研究に着手したのは1914(大正3)年からだが、当時のX線管はドイツの製造者による独占状態が続いていて、しかも第一次世界大戦開戦直前というキナ臭い時代だった。当時日本ではX線管の入手がほとんど不可能になりつつあり、研究にも支障をきたすようになったため、ついに国産化に踏みきったのである。

実験室(現:研究開発センター)では、真空管の材料として必要不可欠なガラス、タングステン、モリブデンなどの特殊材料の研究がかなりの成果をあげてきたこともあり、また材料の供給にも不足がなく、さらに電球製造用の排気設備と熟練した技術をもっていたため、他社に先駆けてX線管の国産化に着手した。

当時の真空管工業は白熱電球が主で、高級真空管は、まだ研究段階ではあった。経験もなく、材料の選択・加工、設計・組立・排気などに至るまで、未知のフィールドで努力を尽くした結果、1915(大正4)年に純国産品を完成させた。そして「ギバX線(レントゲン)管球」と命名し、市場に提供することになった。当時の実験室長だった藤井鐵也が順天堂病院X線光線科の藤浪剛一科長の指導を受け、完成したのであった。

X線発見の年から数えて一世紀以上たっているが、医療関係では人類の保健と治療に貢献するという独自な使命をもちながら、他方では金属材料の検査、各種元素の分析など、重工業生産分野でも多方面にわたる活躍をし、近代の産業のなかでは欠くことのできない役割を担い、また立場を占めている。

(ギバとは古代インドの釈迦の弟子で名医と名高かったギバ尊者から名づけられている)

昭和初期のX線管
昭和初期のX線管

ギバ75型X線装置
ギバ75型X線装置

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