ヒストリーゾーン

二人の創業者の軌跡、及び二人のものづくりを追求するDNAを受け継ぎ東芝が世の中に初めて送り出してきた製品の数々をご紹介します。

ヒストリーゾーンでは展示ガイドをご利用いただけます。テキスト、音声、画像など、展示解説をお楽しみいただくことができますので是非ご利用下さい。

創業者の部屋

東芝の創業者である田中久重と藤岡市助それぞれの生涯のドラマをめぐる展示を通して、東芝のDNAをご紹介します。

東芝は、日本の近代科学技術史を支えた、田中久重と藤岡市助の2人によって創業されました。こちらのブースでは、「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重が設計した万年時計や、日本のエジソンを評された藤岡市助ゆかりの品々を展示しています。

創業者の部屋
  • 創業者ものがたり
    • 創業者ものがたり

      創業者ものがたり

      田中久重、藤岡市助、そして東京芝浦電気を設立させた山口喜三郎、3名の創業者の生涯を短時間の静止画ものがたりでご覧いただけます。

      それぞれの生涯を各4章に分けたストーリー構成で、「近代工業の祖」、「日本の電気産業の父」、「東京芝浦電気をつくった創業者」を東芝のDNAとしてご紹介しています。

    創業者ものがたり

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      創業者ものがたり

      田中久重、藤岡市助、そして東京芝浦電気を設立させた山口喜三郎、3名の創業者の生涯を短時間の静止画ものがたりでご覧いただけます。

      それぞれの生涯を各4章に分けたストーリー構成で、「近代工業の祖」、「日本の電気産業の父」、「東京芝浦電気をつくった創業者」を東芝のDNAとしてご紹介しています。

創業者

田中久重

日本近代の幕開けの時代、モノづくりへ挑戦し続けた発明家・技術者の生き方にせまります。

田中久重

藤岡市助

東京電気の前身「白熱舎」の創始者である、 もう一人の東芝創業者の偉業にせまります。

藤岡市助

主な展示

万年時計(正式名称:万年自鳴鐘)

田中久重が設計、製作した重要文化財・万年時計の魅力をご紹介します。

万年時計(正式名称:万年自鳴鐘)

無尽灯

菜種油を使った灯器です。圧縮空気を利用した機構により長時間灯芯に油を供給することができました。これにより、当時としては画期的な4時間の連続点灯が可能でした。田中久重は風砲(空気銃)の原理を応用してこの無尽灯を発明したといわれています。また、太い灯芯とホヤ(灯芯をおおうガラスの筒)により、明るさはろうそくの10倍でした。

無尽灯

弓曳童子

からくり人形の最高傑作と言われる弓曳童子(ゆみひきどうじ)は、矢台に置かれた4 本の矢を順に弓につかえ、的をめがけて矢を放ちます。その動作は7枚のカムと14 本の操り糸と腕木によって各部位に伝えられ、あたかも人間のような微妙なしぐさを表現しています。

弓曳童子

茶運び人形

お茶碗を茶托に置くと人形がお茶を運びます。客がお茶碗をとり再び茶托に置くと自動的にユーターンして戻ってきます。人気のあったからくり人形で、江戸時代のハイテク品である時計の脱進調速機構が応用されています。寛政8年(1796) 刊行の『機巧図彙』をもとに製作されました。

茶運び人形

創業者田中久重とゆかりのあるからくり人形の実演を行っております。ご希望の方は近くの案内スタッフにお声掛けください。

からくり人形【実演】

デュボスク式アーク灯

我が国に電灯が初めて照明用として点灯されたのは、明治11年(1878) 3月25日のことです。工部省中央電信局の落成晩餐会が工部大学校の大講堂で開催された際、藤岡市助をはじめとする電信科第3 期生はエアトン教授の指揮のもと、グローブ電池によりデュボスク式アーク灯を点灯しました。

そして、この日を「電気記念日」としました。

デュボスク式アーク灯

市助からエジソンへの手紙

市助はエジソンに対して、電話機と白熱電球を政府要人にも見せたいので、送っていただきたいという旨の書簡を送っています。エジソンは、電話機一対と白熱電球36個を工部大学校に送り、工部大学校側はエジソンに対して返礼として花瓶を贈っています。

訳文------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
T.A エジソン殿
拝啓
貴殿の高声電話機を来週の金曜日の朝までに私宛にお送りいただけないでしょうか。私の住所は、ニューヨーク・ウォーレンストリート9番地の日本領事館気付です。日本に帰国してすぐ日本の天皇陛下に貴殿の高声電話機をお見せする機会があろうと思います。
天皇陛下はまちがいなくお喜びになることでしょう。
貴殿の電灯(16燭光)も3~4個持って帰国し、日本政府やその他の人々に見てもらい、電気の博物館にも展示したいと考えています。この件につき、もし貴殿のご協力を頂ければ衷心より感謝申し上げる次第です。

敬具
1884年10月29日 ボストンにて
藤岡市助

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炭素電球については、1号機ものがたりの「1890年日本初の白熱電球」をご覧ください。

市助からエジソンへの手紙

エジソンに宛てた手紙(下書き)(複製)
明治17年(1884)

日本初のエレベーター(模型)

明治23年(1890)

東京に12階建ての「浅草 凌雲閣」が建設されました。
藤岡市助は凌雲閣の閣頂に2 基のアーク灯をつけるとともに、日本初の電動式エレベーターを設計しました。1階から8階までの直通エレベーターは20人乗りで、カゴ内部には布団敷きの腰掛けと鏡、電灯も備わっていたといわれています。日本エレベーター協会は、この協会は、このエレベーターが運転された11月10日を「エレベーターの日」と制定しました。

ボタンを押すと模型内部のエレベーターの動きをご覧いただけます。

日本初のエレベーター(模型)

1号機ものがたり

「日本初」、「世界初」となった東芝製品をとおし、社会にイノベーションを起こしてきた東芝の歴史をご紹介します。

女性を家事から解放した電気洗濯機や、街に明かりを灯した60KW二相交流発電機。いつの時代も、あたらしい技術が、あたらしい暮らしをつくってきました。

冷蔵庫や洗濯機、カラーテレビ、扇風機。今では当たり前のこれらの電化製品も、東芝が日本ではじめて製品化しました。 東芝のあゆみと、日本の電気・電子技術の発展の歴史をご覧ください。

1号機ものがたり

主な展示

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